1年半ぶりの帰国

  • 2012.01.20 Friday
  • 07:18
 一年半ぶりの帰国。10日間しかなかったこと、会いたい人がたくさんいたこと、そして、被災地へ向かうことが重なりスーパーハードなスケジュールだった。しかし、自分でも不思議なくらい元気だった。いや行くところ全てで元気をもらった。

帰国初日、高校のミニ同窓会を企画してくれた。久々に歌うカラオケ、最後は校歌まで出て、何年たっても同級生とは良いものだと改めて実感。

そして、渡米中に竣工した山荘町第2町会館、ちょうど町会の餅つき会でにぎわっていた。「利用頻度がとても多くなった。」の一言が何よりうれしい。

FOR EVER HOUSE とネイミングして、自然光をふんだんに取り入れたと住宅も、計画とおり、全ての部屋が日中は照明をつけなくても十分明るく、喜んで頂いた。堺市槇塚台公園の公衆トイレ。子供たちにビー玉を埋めてもらうことで、「みんなのトイレ」を意識してもらう提案をした。ちょうど子供たちがそのビー玉を数えながら遊ぶ姿を目にした。自分が携わった施設で、人が元気に使ってくれていること目にする時が最高の喜びを感じる時である。

連休が明け、多くのクライアント、知人とお会いすることができた。久々に帰国したことで、忙しい時期に皆さん快くお会いいただき、人のつながりの温かさを改めて感じた。

大阪から福岡へ、シーホークホテルを久々に訪れると チェックインに長蛇の列。ロビー周りの内装デザインは幾分変わっていたが、本質的なにぎわいやデザインコンセプトの竣工当時と変わっていないことにホッとし、懐かしく感じた。

 

その夜、ボストンで震災直後3月13日には現地に入り、今も救援活動に取り組む九大病院の先生に建築家に何ができるか? 何をすべきか?のヒントをお聞きしたくて、九大のキャンパス計画の教授、元ペリ事務所同僚を交えてお会いした。

避難所の学校のプールが地震で壊れなったことで震災直後の遺体洗浄のため、プールの水が使われたこと。震災直後の被災者の不安は、住まいがなくなり、次にどこに住めるのか?どんな住宅に住めるのか?と先を不安視することが大きなストレスにもなっていたこと。

原発周辺の避難地区内のゴーストタウン化した写真を見てゾッとした。

 

15日、弟と仙台で合流し石巻市へ入る。被災の現場視察への道を聞くためJR石巻駅へ立ち寄ると、まさにその駅員さんの家の周辺とのこと。「私の家はここにあったが今は影も形も」と・・・テレビで断片的に見るのと実際に全景を見るとでは、予想はしていたが本当に大きな違いである。石巻から車で40分ほど大川小学校へ。何とも言葉にならない。胸が詰まる。土手の上からの北上川の大きさに怖さを感じる。5時を回ると暗くなるが、海岸沿いを女川へ走る。小さな漁村の看板がいくつかあったが、街の明かりは見えなかった。女川町で建築家 坂茂さんが設計したコンテナの仮設住宅を視察。建築家としての行動力に勇気をもらった。

。。。半島を一周して再び石巻の旅館へ。海岸から相当離れたところにある旅館。観光協会のHP旅館リストで予約の電話を入れて5件目でようやく取れた小さな旅館。この場所でも70cmほどの浸水があったようで、ロビーの床はコンクリートに仮のゴザを引いたまま。壁のクロスの色が変色して「いまだにクロス屋さんが来てくれないのよ。カビが生えて来ているのに。」と旅館の女将。

16日、南三陸町へ。兵庫県から復興支援に出向している方に案内頂けるとのことで、仮庁舎へ。朝9時にも関わらず、復興推進室のプレハブの一室には10人ほどの職員の方が仮設の机、椅子、多量の書類に囲われて、忙しそうに働いている。私たち以外にひっきりなしに人が出入りする。受け付け付近に立っていられないほどである。異様な活気に包まれている。庁舎のトイレも仮設。忙しい中、全容の説明を頂き、被災地の現場も案内頂いた。現地を見ると、二〇メートルを超える津波の威力に騒然とさせられる。こんなところにまで波が・・・まさに予想を超えている。三階建ての防災センターの建物が骨組みだけ残して全壊である。自然の脅威の前では建築は何も役に立たなかった。と言うのが実感だ。

高台から見る街の全景はまた異様である。説明によると150haほどの街の旧市街地の復興計画が12月に公表されたとのこと。浸水地域には住居は設けず、バッファーゾーン、公園、施設ゾーンが配置されその周囲の高台に居住地が分散するとのこと。二度とこの悲惨な被害を繰り返さないための計画である。ただ、具体化には乗り越えるべき課題がたくさんある。建築の領域を超えた課題が山積されて、まだまだ「建築の出る幕ではない」と言うことも確かに感じるが、だからと言って「何もしない」と言うことでもないのではと思う。

 

「建築家として自分に何ができるか?なんて大それたことを言う前にまず、現地を見てこい。」と発破をかけてくれたJUDIの先輩。今回多くの情報提供をくれた兵庫県庁に勤める友人。彼の紹介で11日には兵庫で積極的に街づくり復興支援活動を続けるボランティアのセミナーにも参加して、「人のつながり」「生きること」の大切さを強く感じることのできた今回の帰国だった。

コメント
さっちゃん!!こんにちは(^_-)-☆

バンチです。
先日は、久しぶりに会えてとっても楽しかったです♪
ありがとう〜ヽ(^。^)ノ

ボランティアや帰国のお疲れ出てませんか??
気持ちも体も若いさっちゃんに、すっかり元気もらいましたよ〜〜♪
私も見習わないと。。。。汗

クメにも、お土産送ったからね(笑)

ところで・・・・
face book 登録してみたんだけど、
さっちゃんがわからなかったんで、
検索してたら、なぜかここにHIT♪

コメントでお邪魔しちゃいました〜ごめんね〜m(. .*)m


また、日本に帰ってきたら、ゆっくり
みんなで、会いたいね!!

お身体に気をつけて、ボストン生活ガンバってね♪

(@^^)/~~~
  • banchi
  • 2012/02/29 10:13 AM
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